
「水辺ウォーキング:水都東京4」は、日本橋を出発し、日本橋川を上流へ向かい、神田橋を目指します。
通過する橋や史跡などを案内する形式で、進めていきます。
1.日本橋川ウォーキング:豊海橋→日本橋
日本橋を出発する前に、前回の「水辺ウォーキング:水都東京3」を振り返ります。
日本橋川河口から日本橋まで歩いた様子を案内しました。




(豊海橋→日本橋)
詳しい内容は、下記の記事をご覧ください。




2.日本橋川ウォーキング:日本橋→神田橋:ルート図
日本橋を出発し、日本橋川を上流へと向かい、神田橋まで歩くルートは、下図の通りです。




(日本橋 → 神田橋)
3.日本橋川ウォーキング:日本橋を出発
スタート地点の日本橋です。
日本橋を後にし、最初に現れる橋は、西河岸橋です。
3-1.日本橋川18番橋:西河岸橋(にしがしばし)
日本橋川の上流から数えて、第18番目の橋は、西河岸橋です。
西河岸橋の舗装面(右写真)
西河岸橋から上流側を臨む(右写真)
西河岸橋の左岸橋詰に「西河岸橋」の案内板が立てられていましたので、その記載内容を引用します。
西河岸橋 このあたりは、江戸時代より我が国の商業・経済の中心地として、栄えてきました。 この橋は、日本橋から一石橋までの日本橋川右岸地域が、西河岸町という地名であったことから”西河岸橋”と名付けられたものです。 初代の橋(明治24年架設)は、弓弦形ボウストリングトラスという、当時最新式の鉄橋でした。 関東大震災により被害を受けたこの橋は、大正14年に現在の橋に架け替えられました。 区では、架設後65年を経過したこの橋を平成2年度において、痛んだ部分を修復し、さらに伝統的な木造建築様式の木組みを採りいれた意匠で整備しました。 橋梁の諸元 形 式:3径間連続鋼構桁橋 橋 長:52.0m 有効幅員:11.0m(車道6.0m、歩道2.5m×2) 橋 下:日本橋川 着 工:大正13年12月 竣 工:大正14年8月 施行者 :東京市 平成3年3月 東京都中央区 |
同じく、西河岸橋の左岸橋詰に「裏河岸」の案内板が立てられていましたので、その記載内容を引用します。
裏河岸(うらがし) 明治10年(1877)12月、東京府は、「日本橋ヨリ以西一石橋迄」の河岸地(西河岸の対岸)を「裏河岸」と命名しました。 江戸時代初期の寛永江戸図には、「北かし」と記されていますが、この北側には北鞘町と品川町があり、御府内沿革図書では、一石橋側を「北鞘町河岸」、日本橋川を「品川町裏河岸」としており、いくつかの俚俗名を確認することができます。 なお、「江戸名所図会」によると、品川町裏河岸の通りには、釘・金物の店が多く、釘店(くぎだな)とも呼ばれていたと記されています。 所在地 中央区日本橋本石町1-1 日本橋室町1-1地域 平成12年3月 中央区教育委員会 |




3-2.「BarBies」で休憩
西河岸橋左岸上流側橋詰に「BarBies」を見つけました。
店内から日本橋川と西河岸橋を眺めることができますので、休憩することにしました。
昼のメニューにハンバーガーがありましたので、注文することにしました。
ワインが売りの店みたいですが、筆者は洋酒を好みません。
「黒霧島」のお湯割りを注文して飲むことにしました。
「BarBies」で気分よく過ごした後、店を後にしました。
次に現れる橋は、一石橋です。
3-3.日本橋川17番橋:一石橋(いっこくばし)
一石橋は、日本橋川の上流から17番目の橋です。
一石橋の舗装面(右写真)
一石橋から上流側を臨む(右写真)
一石橋を後にし、次に現れる橋は、常盤橋です。
3-4.日本橋川16番橋:常盤橋(ときわばし)
常盤橋は、日本橋川の上流から16番目の橋です。
常盤橋の舗装面(右写真)
常盤橋から上流側を臨む(右写真)
3-5.「TOKYO TORCH」:東京駅前常盤橋プロジェクト
日本橋川右岸、常盤橋のすぐそばで、「TOKYO TORCH」が建設中です。
「TOKYO TORCH」は、東京駅前に、 3.1haという広大な敷地を誇る唯一の街区です。
2027年度、高さ390m のタワーと 7,000 ㎡ の広場を有する 東京の新たなシンボルが誕生します。




東京駅前常盤橋プロジェクト
出所:三菱地所WEBサイト(※1)
なお、「TOKYO TORCH」の詳しい内容につきましては、下記のTwitterに掲載している記事をご覧ください。
3-6.日本橋川15番橋:旧常磐橋(きゅうときわばし)
旧常磐橋は、日本橋川の上流から15番目の橋です。
3-6-1.現在の旧常磐橋
旧常磐橋は、石造の橋ですが、東日本大震災の際、石組みが大きく変形しました。
修復するためには、一旦、全てを解体する必要性が生じました。
解体した石を収集し、組み直したのが、現在の旧常磐橋です。
常磐橋の舗装面(右写真)
日本橋川右岸上流側の旧常磐橋橋詰(右写真)
旧常磐橋から上流側を臨む(右写真)
3-6-2.東日本大震災以前の旧常磐橋
旧常磐橋の舗装面(右写真)
3-6-3.東日本大震災後の修復工事中の旧常磐橋と江戸城常盤橋門石垣
Δ修復工事中の旧常磐橋と江戸城常盤橋門石垣
3-6-4.「ドボクのラジオ」にて紹介
YouTubeラジオ番組に「ドボクのラジオ」があります。
そこで、修復を担当した人による様子が語られていますので、お聴きください。
2021/5/12 OA 中央エフエム(84.0MHz)
3-7.渋沢栄一銅像
旧常磐橋、常盤橋門跡を含む常盤橋公園に、2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公である渋沢栄一の立像があります。
渋沢栄一案内板(右写真)
渋沢栄一立像の横に案内板がありましたので、その記載内容を引用します。
青淵澁澤榮一翁は、天保11年埼玉県の農家に生まれたが、時勢に激して志士となり、後転じて幕臣となって、慶応3年欧州に赴き、民主主義自由主義を知る機会を得た。 帰朝後、大蔵省に仕官して諸制度の改革に当たったが、明治6年退官し、同年設立された第一国立銀行の頭取となり、以来産業経済の指導育成に任じ、開興した会社500、常に道徳経済合一主義を唱えて終生之を実践し、我が国運の発展に偉大な貢献をした。 また、東京市養育院等社会事業の助成、一橋大学・日本女子大学等実業及び女子教育の育成、協調会等による労資の協調、日華日米親善等世界平和の促進、道徳風教振作のために92歳の高齢に達するまで尽力し、昭和6年11月11日に逝去した。 翁の死後、財界有力者によりその遺徳顕彰の目的で設立された澁澤青淵翁記念会が、昭和8年此処に銅像を建立したが、第二次世界大戦中金属供出のために撤去された。 然るにこのたび、銅像再建の声が盛り上がり各界の有志によって、再び朝倉丈夫氏に製作を依嘱し、この位置に銅像を建て、東京都に寄付したのである。 昭和30年11月 澁澤青淵記念財団龍門社 |
3-8.日本銀行(にっぽんぎんこう)
旧常磐橋の左岸側に日本銀行があります。
日本銀行は、
・1881年に創設
・1882年に開業
・1896年にこの地に移転
しました。
日本銀行の開業地は、日本橋川の河口付近、左岸の豊海橋と港橋の間になります。
前回の記事でも、日本銀行の創業地を案内していますので、よろしければご覧ください。




日本銀行を後にし、日本橋川を上流へと向かいます。
3-9.日本橋川左岸にある程よい空地
日本橋川左岸の旧常磐橋と新常盤橋の区間に、程よい空き地があります。




ここは、筆者の知る限り、平成5年頃から空き地になっているように思います。




土地の所有者を調べていませんが、日本橋川を表舞台にする空間を演出できる良い土地であると、歩きながらいつも感じます。
空地を後にし、日本橋川を上流へ向かいますと、新常盤橋が現れます。
3-10.日本橋川14番橋:新常盤橋(しんときわばし)
新常盤橋は、日本橋上流から14番目の橋です。
新常盤橋の舗装面(右写真)
*写真の左側に上記の空地が見えます
新常盤橋から上流側を臨む(右写真)
新常盤橋を後にしますと、すぐにJR龍閑橋架川橋が現れます。
3-11.日本橋川13番橋:JR龍閑橋架川橋(JRりゅうかんばしかせんきょう)
JR龍閑橋架川橋は、日本橋上流から第13番目の橋です。
龍閑さくら橋から見たJR龍閑橋架川橋(右写真)
JR龍閑橋は、JRの大動脈となる橋であり、
・東北・上越新幹線
・山手線
・京浜東北線
・中央線
などの電車が間髪開けずに通過します。
JR龍閑橋架川橋を後にしますと、すぐに竜閑さくら橋が現れます。
3-12.日本橋川12番橋:竜閑さくら橋(りゅうかんさくらばし)
竜閑さくら橋は、日本橋川上流から第12番目の橋で、歩行者専用橋です。
竜閑さくら橋の舗装面(右写真)
山手線の電車が通過
竜閑さくら橋から上流側を臨む(右写真)
日本橋川右岸護岸沿いに、竜閑さくら橋から鎌倉橋まで、遊歩道が整備されています。
護岸天端の高さに遊歩道が築かれていますので、水面までの高さが、かなりあります。
日本橋川右岸にある遊歩道(右写真)
遊歩道をしばらく上流側へ向けて歩きますと、鎌倉橋が現れます。
3-13.日本橋川11番橋:鎌倉橋(かまくらばし)
鎌倉橋は、日本橋川第11番目の橋です。
鎌倉橋から日本橋川右岸上流側を撮影(右写真)
護岸上部からツタが生える
鎌倉橋から上流側を臨む(右写真)
日本橋川右岸護岸沿いに、鎌倉橋から神田橋まで、護岸遊歩道が整備されています。
日本橋川右岸遊歩道の様子(右写真)
日本橋川右岸遊歩道を上流側へ歩きますと、神田橋が現れます。
3-14.日本橋川10番橋:神田橋
神田橋は、日本橋川上流から第10番目の橋です。
神田橋の舗装面(左写真)
神田橋から上流側を臨む(右写真)
神田橋の左岸上流側の橋詰に「江戸城外堀の石垣」の案内板が立っていましたので、その記載内容を引用します。
江戸城外堀の石垣 雉子橋(きじばし)から常盤橋までの日本橋川は、かつて江戸城外堀の一画でした。 関東大震災や首都高速道路建設による護岸改修によって、現在その面影はありませんが、錦橋から神田橋間の右岸(南)には、昭和期に改修された外濠石垣が点在して残っています。 この石列の下には、江戸時代の石垣が、高さ約6m、長さ約100mにわたり、地下に保存されています。 |
同様に、神田橋橋詰に「神田橋門跡」の案内板が立っていましたので、その記載内容を引用します。
神田橋門跡 ここは、芝崎口門・神田口門・大炊殿橋門(おおいどのばしもん)とも呼ばれ、将軍が上野寛永寺に参詣に行くための御成道となるため、門の警備は厳重でした。 門は、1629年(寛永6年)に下野真岡(しもつけまおか)藩(現在の栃木県)藩主稲葉正勝によって構築されました。 対岸の鎌倉河岸は、江戸城築城の資材を荷揚げする河岸場だったので、この門の役割は重要でした。 1873年(明治6年)に櫓門が撤去され、1884年(明治17年)に木橋が架け直されました。 道路の拡張と市電の開通に伴い改修され、関東大震災で焼け落ちた後に新たに架橋されました。 現在の橋は、1980年(昭和55年)に改架されたもので、木橋風の意匠に灯籠風の親柱、石造風の高欄を組み合わせています。 |
4.まとめ
以上、日本橋から神田橋まで、日本橋川の右岸・左岸を交互に歩きながら、橋や史跡を案内しました。
特に印象深かったのが、旧常磐橋です。
平成4年頃から、旧常磐橋を見続けています。
個人的には、日本橋よりも旧常磐橋の方が好きです。
東日本大震災で、大きく変形した時には、「もう駄目かな?」と思いましたが、見事に復活してくれました。
筆者は、平成10年頃に旧常磐橋を舞台にして、「薪能」を企画したことがあります。
雨天の際にも、上空は首都高速道路が覆っていますので、屋根代わりになります。
しかし、予算や安全面で断念しました。
今思いますと、無理してでも決行しておけば良かったと後悔しています。
次回の日本橋川ウォーキングは、神田橋から日本橋川の始点となる三崎橋までの橋や史跡を案内します。
よろしければご覧ください。
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6.参考・引用WEBサイト
※1 「TOKYO TORCH」 三菱地所
https://office.mec.co.jp/tokiwabashi/
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8.筆者プロフィール
<平野直樹>
有限会社エクセイト研究所 代表取締役
不動産コンサルタント、不動産投資家、不動産ライター
関西大学工学部を卒業後、建設コンサルタント、政府系シンクタンクなどを経て、1995年に有限会社エクセイト研究所を設立、現在に至る。
資格:一級建築士、一級土木施工管理技士、宅地建物取引士
特技:Google検索10位以内に入る記事を多数提供
趣味:カヤック、スキューバダイビング、水辺ウォーキング
不動産:マンション3棟、戸建賃貸1棟、区分マンション1戸所有;いずれも自主管理
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