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水辺建築としての城郭その1:大阪城を見学

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都市の水辺をウォーキングしますと、城郭に出会う機会がよくあります。
特に、天守閣のある街は、それだけで風格が出ます。

城郭は、川や堀などの水辺と相まって、独特の空間を形成します。
 ・天守閣による街の歴史・威厳
 ・水辺による潤い・安らぎ
 ・観光による賑わい・華やかさ
などを感じることができます。

特に平城は、水辺の近くに築城されます。
 ・敵からの防御
 ・舟運による流通の確保
 ・飲料水の確保
などに優れているからです。

今回の記事は、大阪市内の大川を水辺ウォーキングした際、大阪城にも寄って見学した様子を紹介します。

目次

1.大阪城の概要

写真1.大阪城
Δ写真1.大阪城

大阪城(おおさかじょう)は、日本の歴史的な城郭の一つで、大阪府大阪市中央区に位置しています。

図1.大阪城位置図1
Δ図1.大阪城位置図

この城は、日本の戦国時代から江戸時代にかけて築かれ、その歴史的背景や役割から日本の文化的な象徴の一つとされています。
以下では、大阪城の歴史と特徴について簡単に説明します。

図2.大阪城位置図2
Δ図2.大阪城位置図2

大阪城は、豊臣秀吉(Toyotomi Hideyoshi)によって築かれました。
秀吉は戦国時代末期から江戸時代初期にかけて、日本を統一した重要な武将の一人であり、彼の統一政権の象徴として大阪城が建設されました。
大阪城はその壮麗な建築と美しい庭園で知られ、日本の城郭建築の傑作とされています。

2.大阪城築城・改築の経緯

大阪城は、歴史的に何度かの築城と改築を経て、現在の「3代目」が存在します。
以下に、大阪城の築城と改築の経緯を簡単に説明します。

2-1.初代大坂城(上の丸・下の丸)

図3.豊臣期大坂城:(1583年~1615年)
Δ図3.豊臣期大坂城
(1583年~1615年)

初代の大坂城は豊臣秀吉によって築かれました。
築城は、1583年から1586年にかけて行われ、城は本丸(上の丸)と二の丸(下の丸)からなりました。
この城は、秀吉の統一政権の象徴として使用され、秀吉の死後、彼の後継者たちによっても使用されました。

図4.大坂夏の陣(屏風絵)
Δ図4.大坂夏の陣(屏風絵)

2-2.2代目大阪城(天守が焼失後の改築)

図5.徳川期大坂城:(1620年~1868年)
Δ図5.徳川期大坂城
(1620年~1868年)

初代の大坂城の天守が1615年に焼失した後、大坂夏の陣と呼ばれる戦闘で城の多くの部分が破壊されました。
その後、大坂城は徳川家康の指示のもとで改築され、天守が再建されました。
2代目の大阪城は、新たに建てられた天守を含む多くの櫓や門から成り、江戸時代を通じて使用されました。

図6.豊臣期天守閣と徳川期天守閣の比較
Δ図6.豊臣期天守閣と徳川期天守閣の比較

2-3.3代目大阪城(現代の大阪城)

2代目の大阪城は19世紀末に廃城となり、その後の明治時代にほぼ完全に破壊されました。
しかし、20世紀になって、大阪市は歴史的な価値を持つ大坂城を復元し、現在の3代目の大阪城が築かれました。
この再建は1931年に始まり、天守を含む主要な構造物が再建されました。
現代の大阪城は観光名所として多くの人々に愛されており、日本の歴史と文化を伝える重要な拠点となっています。

現在の大阪城は、観光客や歴史愛好者にとって訪れる価値のある場所で、その美しい建造物と広大な庭園が魅力です。

3.大阪城の堀

写真2.大阪城:航空写真
Δ写真2.大阪城:航空写真

大阪城は、その堀の存在でも有名です。
城の周りには幅広い水域が広がり、これが大阪城の特徴の一つです。
この堀は、城の防御を強化し、敵からの攻撃を防ぐ役割を果たしていました。
また、堀は美しい景観を創り出し、城全体の雰囲気を引き立てています。

大阪城の堀は、外堀と内堀の2つの部分から成り立っています。
外堀は城の外側に広がり、内堀は城の本丸(中心部)を囲んでいます。
これらの堀は豊臣秀吉の治世中に掘削され、水路を通じて大阪湾とつながっていました。
この水路は城への物資の供給や、輸送の手段として活用されました。

写真3.大阪城の南外濠:大手門から撮影:茶系の建物は大阪歴史博物館
Δ写真3.大阪城の南外濠
大手門から撮影
茶系の建物は大阪歴史博物館

大阪城の堀は、その美しさと機能性から多くの観光客や歴史愛好者に訪れられています。
特に桜の季節には、桜の花が咲き誇り、堀の周りが美しい花見スポットとして知られています。

大阪城の堀は、日本の歴史と文化を感じる場所として訪れる価値があります。
城とその堀は、日本の武士文化や建築技術、美しい自然景観を一堂に見ることができる特別な場所です。

4.大阪城内見学

冒頭にも記しましたが、大川の水辺ウォーキングをした際、大阪城にも寄って見学することにしました。

4-1.大阪城内見学ルート

大阪城内を見学したルート図は、下図の通りです。

図7.大阪城内見学ルート図
Δ図7.大阪城内見学ルート図

下図は、大阪城公園案内図です。

図8.大阪城公園案内図
Δ図8.大阪城公園案内図
図9.大阪城公園案内図凡例
Δ図9.大阪城公園案内図凡例

4-2.京橋口

寝屋川に架かる京橋を右岸から左岸に渡り進みますと、大阪城への入口の一つである京橋口があります。

京橋口案内板の記載文を引用します。

京橋口

大阪城の西北の出入り口。
北方の寝屋川(旧大和川)に京都へ通じる「京橋」が架けられていることから、「京橋口」もしくは「京口」と呼ばれた。
戦前までは江戸時代以来の京橋門が残り、桝形には大手口と同様に多門櫓もあって、大阪城の名所となっていたが、昭和20年(1945)の空襲によって全焼した。

4-2-1.京橋口桝形の巨石

京橋口には、大阪城内第2の巨石である「肥後石」があります。

案内板記載文を引用します。

京橋口桝形の巨石

京橋口桝形の内、京橋口を入って正面に見えるのが、表面積が畳約33畳敷(54.17㎡)にもなる城内第2の巨石「肥後石」である。
築城の名手加藤肥後守清正が運んできたと伝えられてきたが、実際は徳川幕府による大坂城再築時に、この区域の石垣築造を担当した備前岡山藩主池田忠雄によって運ばれた。
肥後石の左手が京橋口二番石で、表面積が畳22畳敷(36.00㎡)の、城内第7位の巨石である。

4-2-2.こま犬

京橋口には、こま犬一対が設置されています。

「こま犬」案内板記載文を引用します。

こま犬

この一対の「こま犬」は中国・民(みん)の時代の文化遺産で、それぞれ高さ約3m、重さ約2.9tonある。
日中戦争の最中に日本へ運ばれ、当時陸軍第四師団司令部のあった大坂城内に置かれた。
戦後も長らく山里口出桝形(やまざとぐちでますがた)の東付近に置かれていたが、昭和59年(1984)、中国政府により改めて大阪市に寄贈されることとなり、現在の場所に移された。
以来この「こま犬」は、両国人民の友好関係を促進し、友誼(ゆうぎ)を深める象徴となっている。
脇に建立された記念碑には、変わらぬ中日友好への願いをあらわした「中日友好 萬古長青」の文字が刻まれており、これは当時の宋之光中華人民共和国駐日本国特命全権大使の筆による。

4-3.内堀

京橋口を通過しますと、天守閣を背景とした内堀が現れます。

「内堀」案内板記載内容を引用します。

内堀

本丸を取り囲む堀で、南側を空堀とするほかは水堀となっている。
寛永元年(1624)開始の徳川幕府による大坂城再築第2期工事により、豊臣時代の本丸に盛土をほどこして石垣が築造された。
幕府の命令によって動員された大名は、
 ・豊前小倉藩細川家
 ・加賀金沢藩前田家
 ・因幡鳥取藩池田家
 ・筑前福岡藩黒田家
をはじめとする59家で、
 ・総延長は約2.7km
 ・東側石垣の高さは水面から約24m
に達する。
本丸内には濠に面する石垣の角を中心に3層の櫓が11棟、2層のの櫓が2棟そびえていたが、明治維新の大火により全て焼失した。

内堀には、当時を偲ぶ現代版「極楽船」が浮かんでいます。

4-4.極楽橋

内堀沿いを東へ進みますと、極楽橋が現れます。

極楽橋の出入り口に案内板が設置されています。

「極楽橋」案内板記載文を引用します。

極楽橋

山里丸と二の丸とを結ぶ橋である。
豊臣秀吉が天正11年(1583)に築造を開始した大坂城でもこの付近に架けられた橋を極楽橋と呼び、大坂夏の陣による落城後、徳川幕府が再築した時にも架け直された。

江戸時代には、幅約8m(4間)の木造で、慶応4年(=明治元年、1868)に起こった明治維新の大火によって焼け落ちたが、97年後となる昭和40年(1965)に再架橋された。
現在の極楽橋は、長さ約54m、幅約5.4mで、橋脚・主桁を鉄筋コンクリート造としつつも、上部は歴史的景観に配慮し伝統的な擬宝珠高欄(ぎぼしこうらん)としている。
「極楽」とは仏教で説かれる安楽の世界をさすことから、戦国時代この地にあった浄土真宗本願寺派の本山、大坂(石山)本願寺以来の名称ではないかと考えられている。

図10.大坂城創建時の極楽橋
Δ図10.大坂城創建時の極楽橋

極楽橋を二の丸から山里丸へと渡ります。

4-5.山里丸(やまざとまる)

天守閣直下の山里丸に来ました。

山里丸の案内板がありましたので、その記載文を引用します。

山里丸

天守から一段下がったこのあたり一帯を山里丸と呼ぶ。
豊臣時代には、山里の風情を保つ松林や桜、藤などの木々が繁り、いくつもの茶室が建っていた。
豊臣秀吉やその家族が茶会や花見を楽しむくつろぎの場所であった。
大坂夏の陣(1615年)で落城の際、淀殿、秀頼母子が自刃したのも山里丸と伝えられている。
徳川時代寛永元年(1624年)の再築後は構造も建物もすっかり変わり、石垣を取り囲む櫓のほか大阪城を守衛した山里加番(城役人)の建物が建ち並んでいた。

山里丸と本丸との間に山里口出桝形があります。

山里口出桝形の案内板がありましたので、その記載文を引用します。

山里口出桝形(やまざとぐちでますがた)

本丸と山里丸とを結ぶ通路に設けられた桝形で、徳川幕府が行った大坂城再築工事によって築かれた。
外敵に備えるための石組みに囲まれた四角い区画を桝形といい、特にこの場所は本丸から山里丸側に突き出していることから出桝形という。
南には本丸に通じる姫門、東には山里丸に通じる山里口門があったが、いずれも明治維新の大火により、石垣上の塀ともども焼失したと考えられる。
なお西は埋門(うずみもん)となっていて隠し曲輪(かくしくるわ)へと通じている。

山里丸から本丸へ入ります。

4-6.天守閣

本丸にある天守閣(3代目)です。

写真26.天守閣(3代目)
Δ写真26.天守閣(3代目)

天守閣の中には、有料ですが入館できます。
しかし、残念ながら城内は撮影禁止となっており、写真を掲載できませんでした。

天守閣の中は、大阪城博物館となっており、
 ・豊臣秀吉や家臣の甲冑、陣羽織
 ・刀や槍などの武具
 ・浮世絵や巻物
 ・案内シアター、テレビ、パネル
などが設置され、様々な角度から大阪城や豊臣秀吉を検証できる施設となっています。

入館者の中に韓国人の割合が高いのが印象的でした。

4-7.桜門桝形

天守閣を後にし、本丸から二の丸へ出る手前に桜門桝形があります。

4-7-1.桜門桝形の巨石

そこに城内第1位の巨石(蛸石)があります。(写真27)

写真27.蛸石
Δ写真27.蛸石

蛸石の案内板がありましたので、その記載文を引用します。

桜門桝形の巨石

桜門の内側には、本丸の正面入口を守るため、石垣で四角く囲まれた「桝形」とよばれる区画が設けられ、上部に多門櫓が建てられた。
この桝形は、徳川幕府による大坂城再築工事の第2期工事が始まった寛永元年(1624)、備前岡山藩主池田忠雄(いけだただお)の担当によって築かれ、石材は備前(岡山県)産の花崗岩が用いられている。

正面の石は蛸石(たこいし)とよばれる城内第1位の巨石で、表面積がおよそ36畳敷(59.43㎡)、重量は約108tonと推定される。
向かって左手の巨石は振袖石(ふりそでいし)袖石(そでいし)とよばれ、表面積はおよそ33畳敷(53.85㎡)で、城内第3位である。
なお、上部の多門櫓は慶応4年(=明治元年、1868)、明治維新の大火で焼失した。

蛸石を後にし、桜門の外(二の丸)へ出ます。

4-7-2.桜門

本丸と二の丸の間に桜門があります。
桜門を通して天守閣が見える仕掛けとなっています。(写真28)

写真28.桜門
Δ写真28.桜門

4-8.空堀(からぼり)

桜門を出ますと、左右が空堀となっています。

4-9.豊国神社(ほうこくじんじゃ)

桜門を出て目の前に豊国神社があります。

豊国神社の案内板が建っていましたので、その記載文を引用します。

豊国神社

豊臣秀吉、秀吉の子秀頼、秀吉の弟秀長をまつる。
秀吉は慶長3年(1598)に死去すると神格化されて「豊国大明神(とよくにだいみょうじん)」となり、京都をはじめ各地に豊国社(とよくにしゃ)が建てられたが、豊臣家滅亡とともに姿を消した。
復活の契機となったのは明治維新で、慶応4年(=明治元年、1868)に大阪へ行幸した明治天皇が再興を命じ、大阪では京都の豊国神社(とよくにじんじゃ)の分社として、明治12年に現在の大阪市中央公会堂の場所に創建された。
大正元年(1912)には現在の大阪市役所の場所、昭和36年(1961)には大坂城二の丸南の現在地に移転した。
同社の名称は、京都の豊国神社から独立した大正9年以降、豊国神社(ほうこくじんじゃ)となった。

豊国神社を後にし、大手口へ向かいます。

4-10.大手口桝形

大手口桝形に来ました。
大手口桝形は二の丸と大手前との間にあります。

4-11.大手門

大手門は、大手前から二の丸に入る門です。

大手門の案内板が建っていましたので、その記載文を引用します。

重要文化財 大手門
城の正面を大手(追手(おって))といい、その入口を大手口(追手口)、設けられた門を大手門(追手問)とよぶ。
現存する大阪城の大手門は寛永5年(1628)、徳川幕府による大坂城再築工事の際に創建された。
正面左右の親柱(おやばしら)の間に屋根を乗せ、親柱(おやばしら)それぞれの背後に立つ控柱(ひかえばしら)との間にも屋根を乗せた高麗門(こうらいもん)形式である。
屋根は本瓦葺(ほんがわらぶき)で、扉や親柱を黒塗総鉄板張(くろぬりそうてっぱんばり)とする。
開口部の幅は約5.5m、高さは約7.1m。
親柱・控柱の下部はその後の腐食により根継(ねつぎ)がほどこされているが、中でも正面右側の控柱の継手(つぎて)は、一見不可能にしか見えない技法が駆使されている。
門の左右に接続する大手門北方塀・大手門南方塀も重要文化財に指定されている。

4-12.外堀

大手門を二の丸から大手前へ通過しますと、左右に外堀が現れます。

外堀に出ますと、改めて本丸・二の丸・山里丸を形成する石垣の高さ・荘厳さを感じます。

しばらく「西外堀」沿いを北側に向けて歩くことにします。

「西外堀」の案内板が立っていましたので、その記載文を引用します。

西外堀

大阪城二の丸の西に位置する水堀で、南が大手口、北東が京橋口である。
 ・石垣の総延長は約1.5km
 ・堀の最大幅は約75m
あり、元和6年(1620)、徳川幕府による大坂城再築第1期工事により、豊臣時代大坂城の堀跡に改めて石垣が築造された。
幕府の命令によって動員された大名は
 ・肥後熊本藩加藤家
 ・筑前福岡藩黒田家
 ・豊前小倉藩細川家
など29家。
内側の石垣上には南から
 ・千貫櫓(現存)
 ・ひつじ櫓(焼失)
 ・乾櫓(現存)
が建てられた。

「西外堀」沿いを歩いた後、元来た京橋口の前を通過し、寝屋川河口部から大川へと向かいました。

写真43.寝屋川河口部に架かる寝屋川橋と京阪電鉄寝屋川橋梁
Δ写真43.寝屋川河口部に架かる
寝屋川橋と京阪電鉄寝屋川橋梁

5.まとめ

以上、大阪城内を
 ・三の丸→京橋口→二の丸→極楽橋
 ・極楽橋→山里丸→本丸→天守閣
 ・天守閣→桜門→二の丸→大手門
 ・大手門→西外堀→京橋口→三の丸
と歩きました。

印象的だったのは、天守閣や櫓もさることながら、内堀・外濠を中心とした景観の素晴らしさです。
堀の水辺が前面にある天守閣は、一層映えます。

今回の大阪城見学は、西外堀を中心として大阪城の約4分の1しか歩いていません。
残りの部分についても日を改めて歩きます。

水辺ウォーキングを趣味とする筆者としては、今後も都市部にある城郭を、堀を中心として見学したいと考えています。

なお、江戸城、松山城、津山城については、下記の記事をご覧ください。

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この記事を書いた人

◆有限会社エクセイト研究所◆

職務:代表取締役
業務:不動産コンサルタント
   不動産投資(大家業)
   不動産ライター・ブロガー
資格:一級建築士
   1級土木施工管理技士
   宅地建物取引士
   測量士
   定借アドバイザー
   マスタースキューバダイバー
認定:プロクラウドワーカー
   認定ランサーズ
趣味:カヤック一人旅
   水辺ウォーキング
   スキューバダイビング
   メタバース:まちづくり
   サックス:JPOP、JAZZ
   

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