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水辺建築としての城郭その3:松山城を見学

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都市の水辺をウォーキングしますと、城郭に出会う機会がよくあります。
特に、天守閣のある街は、それだけで風格が出ます。

城郭は、川や堀などの水辺と相まって、独特の空間を形成します。
 ・天守閣による街の歴史・威厳
 ・水辺による潤い・安らぎ
 ・観光による賑わい・華やかさ
などを感じることができます。

特に平城は、水辺の近くに築城されます。
 ・敵からの防御
 ・舟運による流通の確保
 ・飲料水の確保
などに優れているからです。

この記事では、

  1. 松山城の概要
  2. 松山城築城の経緯
  3. 松山城内見学:本丸
  4. 松山城内見学:天守

について解説します。

松山城をウォーキングし、案内板記載文などを引用しながら、本丸・天守などを見学した様子を、写真を中心として紹介します。

図1.松山城位置図
Δ図1.松山城位置図

なお、大阪城、江戸城、津山城見学については、下記の記事をご覧ください。

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目次

1.松山城の概要

写真1.松山城天守
Δ写真1.松山城天守

松山城は、松山平野の中央に位置する標高132mの勝山を中心に築かれた平山城です。
 ・山頂に「本丸」
 ・南西に「二之丸」
     堀と土塁に囲まれた「三之丸」
     (堀之内)
が配されています。

図2.松山城配置図
Δ図2.松山城配置図

その縄張りには、
 ・幾重にも連なる石垣
 ・屈曲した進入路
に多くの城門や櫓(やぐら)などを備えた難攻不落の城といわれています。

また、本丸の中枢である本壇には連立式の形式をもつ天守がそびえます。
本丸と二之丸をつなぐ全国でもめずらしい南北2本の「登石垣」があります。
東と北の山麓には、
 ・「東郭(ひがしのくるわ)」
 ・「北郭(きたのくるわ)」
が配置されるなど堅牢かつ広大な城構えとなっています。

2.松山城築城の経緯

 松山城の創立者は、「賤ヶ岳の七本槍」の一人としても有名な加藤嘉明。
慶長5年(1600)関ケ原の戦いでの成功を認められて20万石となった嘉明は、居城を正木城(愛媛県松前町)から道後平野の中央にある勝山に移し、この地を「松山」と命名しました。

図3.加藤嘉明(出所:ウィキペディア)
Δ図3.加藤嘉明
(出所:ウィキペディア)

 着工から25年、寛永4年(1627)松山城の完成を目前にして嘉明は会津へ転封となります。
代わって入封したのは、蒲生氏郷(がもううじさと)の孫:蒲生忠知。
二之丸を完成させたが、寛永11年(1634)8月、参勤交代の途中の京都で病没し、嗣子なく断絶しました。

 寛永12年(1635)7月、伊勢桑名城主:松平定行が伊予松山15万石に封じられました。
定行は寛永16年(1639)から3年をかけて本壇を改築し三重の連立式天守を築造しました。

 天明4年(1784)9代定国のとき天守が落雷で焼失。
すぐに復興許可は下りたものの、財政難などにより工事は難航し、12代勝善の嘉永5年(1852)にようやく竣工、安政元年(1854)落成式典が盛大に行われました。
現在の天守は、このときのもので、幕末に造られたにもかかわらず創建時の桃山文化様式が見事に再現されました。

 明治維新後は、公園として整備・活用されます。
昭和に入って放火や戦災により櫓など一部が焼失したが、昭和41年(1966)から全国にも例を見ない総木造による再建が進められ、現在は重要文化財21棟を含む51棟が建ち並び、往時の姿を取り戻しています。

3.松山城内見学:本丸

伊予鉄道の大街道駅を下車し、北東へ5分ほど歩きますと、松山城山ロープウェイ東雲口駅舎があります。

3-1.松山城山ロープウェイ

そこからリフトに乗り、長者ケ平で降ります。

図4.ロープウェイ・リフト乗り場案内図
Δ図4.ロープウェイ・リフト乗り場案内図
(出所:松山城パンフレット)※1

ちなみに所要時間は、
 ・ロープウェイ:約3分
 ・リフト   :約6分
です。

3-2.松山城内見学ルート

「松山城山ロープウェイ」のリフトを利用して、東雲口駅舎から乗り、長者ケ平駅舎で降ります。
長者ケ平駅舎から松山城天守までのウォーキングルートは、下図の通りです。

図5.松山城内見学ルート図
Δ図5.松山城内見学ルート図

3-3.本丸

先ずは、本丸の解説です。

図6.本丸
Δ図6.本丸

本丸の案内板が立っていましたので、その記載文を引用します。

本丸

本丸は、城の防衛上最後の砦となる郭(くるわ)で、高さ10mを超える高石垣に囲まれ、
 ・南北:約300m
 ・東西:約30~180m
という全国有数の規模を誇っています。
高石垣は、美しい曲線を描く扇勾配と屈折を連続させることで防御性を高めている屏風折が特徴です。

江戸時代には、その上に石落や狭間のある渡塀(土塀)がめぐり、また要所には櫓が配置され、城下からは塀や櫓に囲まれた天守が望めたと考えられます。
 本丸北側には、松山城の中心である連立式天守の本壇が配置され、本丸南側には大手(正面、表口)である大手門、北側には搦手(背後、裏口)である乾門があります。
乾門付近には、乾櫓や野原櫓という城内で最古の櫓が残されています。

3-4.松山城の石垣

長者ケ平駅舎から松山城天守へ向かいます。
いきなり急傾斜の坂道・階段が現れ、高い石垣が立ちはだかります。

石垣の案内板が立っていましたので、その記載文を引用します。

松山城の石垣

石垣は、松山城を特徴づける構造物の一つです。
中でも「登り石垣」は、全国で最大規模を誇ります。
石材には、主に花崗岩が使用され、隅部はほとんどが算木積(さんぎつみ)です。

 本丸を囲む高石垣は、高さ10mを越え、美しい曲線を描く扇勾配と、屈折を連続させることで防御性を高めた屏風折が特徴です。
江戸時代に改修を受けている部分もありますが、北側を中心に、加藤嘉明による築城時{慶長7年(1602年)~}の典型的な石垣が良く残されています。
その特徴は、緩い勾配ときつい反り、一部自然石を使用した打込ハギの乱積です。

 一方、本壇の石垣は、北側と南側で異なっています。
北側は、時期はわかりませんが、打込ハギの布積(ぬのづみ)で、隙間に合わせて加工された間詰石(まづめいし)が詰め込まれている特徴がみられます。
南側は、北側より新しく、嘉永年間(1848~1854)、天守などが再建された際に、新しく積み直され、十分に手間をかけた切込(きりこみ)ハギの布積で、隙間の無い整った外観となっています。

* 算木積
石垣の隅部の積み方で、細長い石を使用し、長辺と短辺を交互に積み上げる方法。
16世紀後半から登用され、慶長10年(1605年)に完成しているため、石垣築造年代の判定ができる。

* 打込ハギ
打ち欠いた石材を用い、接合面を合わせて積み上げる方法で、自然石を用いた野面積(のづらづみ)より隙間が少なく、高く積み上げることができる。

* 切込ハギ
整形した石材を用い、密着させるように積み上げる方法

*乱積と布積
乱積は、横方向の目地が通らない積み方で、布積は、横方向の目地が通る積み方

3-5.太鼓櫓(たいこやぐら)

石垣沿いに歩いていますと、前方に太鼓櫓が見えてきました。

3-6.戸無門(となしもん)

進路を180度変えますと、前方に戸無門が現れます。

戸無門の案内板が立っていましたので、その記載文を引用します。

戸無門

 戸無門は、本丸の大手登城道に設けられた高麗門です。
門は、両脇の寄掛柱(よせかけばしら)を石垣にもたせ、脇戸(わきど)はありません。
江戸時代から戸無門の名で呼ばれており、鏡柱(かがみばしら)に扉を吊る肘壺(ひじつぼ)の痕跡もないので、創建当初から扉を持たなかったものと考えられています。
 建築年代は明らかではありませんが、寛永から正保年間(1624~1648年)の建立になるものと推定されます。
また、寛政12年(1800年)に建替えられたことを示す棟札(むなふだ)が残されています。
昭和10年(1935年)国宝に指定されましたが、同25年(1950年)の法改正により重要文化財になりました。
 戸無門を過ぎて左折すると、大手で最も堅固な筒井門(つついもん)と隠門(かくれもん)の防御線に達します。

図7.戸無門
Δ図7.戸無門

3-7.筒井門(つついもん)・隠門(かくれもん)

次に現れるのは、筒井門と隠門です。
配置は、下図の通りです。

図8.筒井門・隠門:位置図
Δ図8.筒井門・隠門:位置図

下図は、筒井門・隠門の立面図(南面)です。

図9.筒井門・隠門:立面図(南面)
Δ図9.筒井門・隠門:立面図(南面)
図10.筒井門・隠門:立面図(北面)
Δ図10.筒井門・隠門:立面図(北面)
図11.筒井門・隠門:平面図
Δ図11.筒井門・隠門:平面図

筒井門を横から撮影した後、筒井門を通過し、裏側から撮影しました。

筒井門を通過後、前方左側に太鼓櫓が見えます。
また、隠門を裏側から撮影しました。

筒井門と隠門の案内板が立っていましたので、その記載文を引用します。

筒井門

筒井門と隠門は、本丸大手の重要な固めで、城内で最も堅固な建造物の一つです。
筒井門は脇戸付(わきどづき)の櫓門で、慶長年間(1596~1615年)の築城に際し、正木城(伊予郡松前町)から移築されたと伝えられる城内最古の建物の一つでした。
明治時代になってから石落(いしおとし)や窓などが改変されましたが、昭和10年(1935年)国宝に指定され、同12年に修復工事が実施されました。
 同24年(1949年)2月、放火によって焼失しましたが、同42年と43年に両側の石垣が解体修理され、同46年3月に総て栂で復元されました。
門戸には楠の一枚板が用いられています。
 焼失前、門の棟木裏には、「慶長七□□年四月マサキヨリウツス也」と墨書(すみがき)されていました。

隠門

 隠門は、正門である筒井門の奥の石垣の陰に隠された、埋門(うずみもん)形式の櫓門で、戸無門を通過して筒井門に迫る寄手(よりて)の側面を急襲する策略が秘められています。
 欄間は戸無門同様の格子欄間で、2階は筒井門東続櫓と隠門続櫓とを結ぶ渡櫓(わたりやぐら)となっています。
 慶長年間(1596~1615年)の築城時に建てられたと考えられており、創建当時の技法が残されている貴重な建造物です。
昭和10年(1935年)国宝に指定されましたが、同25年(1950年)に法改正により重要文化財となりました。
 これを過ぎると、太鼓櫓と巽櫓の防衛線に達します。

* 石落
天守や櫓、塀などの床面を張り出して設けた細長い穴で、石垣を登ってくる敵に頭上から石などを落とすために仕掛けられたといわれているが、現在は鉄砲の射撃としての穴と理解されている。

*棟札
建物の建築や修理の記録として、建物内に取り付けられる札のこと。

写真18.筒井門・隠門:裏側から撮影(北面)
Δ写真18.筒井門・隠門
裏側から撮影(北面)

3-8.太鼓門(たいこもん)

次に現れるのは、太鼓門です。

太鼓門の案内板が立っていましたので、その記載文を引用します。

太鼓門
 太鼓門は、本丸大手の正門と位置付けられている脇戸付(わきどつき)の櫓門で、巽櫓(たつみやぐら)や太鼓櫓とともに防御線を構築しています。
隠門や筒井門とその続櫓(つづきやぐら)による第1の防御線に続く第2の防御線となっています。
 築城時に建てられたと考えられ、明治時代になり石落や窓などが改変されました。
昭和10年(1935年)国宝に指定されましたが、同20年(1945年)7月に戦災で焼失したため、同47年(1972年)2月に門は欅(けやき)、階上は栂(つが)で復元されました。
門の両側の石垣には、戦災による剥離が残されています。

ここで、上記にて解説した櫓と門の配置は下図の通りです。

図12.各櫓・門の配置図
Δ図12.各櫓・門の配置図

4.松山城内見学:天守

太鼓門を通過しますと、天守が見えてきました。

4-1.松山城本壇(ほんだん)

松山城本壇は、天守を中心とする城郭建造物群の中枢です。

図13.本壇
Δ図13.本壇

本壇入口から天守広場までは、
 ・一の門
 ・二の門
 ・三の門
 ・筋鉄門(すじがねもん)
が設けられ、それぞれに塀と櫓を伴っています。
一の門から二の門までの石垣や櫓で囲まれた空間には30を超える狭間が備えられ、最終防御施設として厳重な構えとなっています。

4-2.一の門(高麗門)

本壇の入口にあたるので、一の門という名です。
高麗門の形式を持ちます。

4-3.二の門(薬医門)

本壇における第二番目の門で、薬医門の形式を持ちます。

4-4.三の門(高麗門)

本壇における第三番目の門で、高麗門の形式を持ちます。

4-5.筋鉄門(すじがねもん)

脇戸附の櫓門で、門の柱に鉄板が張ってあることからこの名があります。
櫓は天守と小天守の通路となり、三の門を防衛する構えとなっています。

4-6.天守

いよいよ天守入口に到着です。

天守の案内板が立っていましたので、その記載文を引用します。

重要文化財 天守

 慶長七(1602)年に加藤嘉明が築城を開始し、およそ四半世紀の歳月をかけて完成した。
 寛永十九(1642)年に松平定行が本壇を改築したが、それから約百四十年のちの天明四(1784)年に雷火のため焼失した。
その後七十年をかけて嘉永五(1852)年に再建された。
これが現在のもので、三重三階地下一階附の建造物である。
 昭和十年国宝に指定されたが、同二十五年に法の改正により重要文化財となる。

4-6-1.天守内部展示品

天守内部は、鎧や刀、屏風、巻物などが展示されています。

4-6-2.狭間(さま)・石落し

狭間とは、塀や櫓の壁などに鉄砲や矢を射るために設けた穴です。
 ・矢狭間の場合:縦に細長い穴
 ・鉄砲狭間の場合:より小さな穴
を備えます。

4-6-3.小天守

廊下を進みますと、小天守の二階へ登る急階段があります。

図16.天守と小天守
Δ図16.天守と小天守

小天守から外の景色を撮影しました。

4-6-4.天守一階

天守一階の様子です。

4-6-5.天守二階

天守二階の様子です。

4-6-6.天守三階

天守三階の様子です。

天守から外へ出ます。

4-7.内門(うちもん)

天守を出ますと、内門が現れます。

写真53.内門
Δ写真53.内門

4-8.仕切門(しきりもん)

仕切門は、脇戸附の高麗門であって、天守の北側に位置し、内門との間が桝形となっています。
天守・玄関多門櫓によって防衛される仕組みです。

写真56.天守と仕切門
Δ写真56.天守と仕切門
図17.天守立面図
Δ図17.天守立面図

4-9.天神櫓(てんじんやぐら)

仕切門を通過しますと、天神櫓が現れます。
天神櫓は、本壇東北の隅に位置し、艮櫓(うしとらやぐら)・艮門および小筒櫓を防衛します。
また、この櫓には松平(久松)家の先祖である菅原道真(天満天神)の像を安置し、城の安全を祈ったのでこの名があります。

天神櫓の右手に、先ほど通過した二の門・三の門があります。

天神櫓を後にし、二の門・一の門を通過し本壇を出て、天守を撮影しました。

写真59.松山城天守・小天守
Δ写真59.松山城天守・小天守

4-10.飲食店で酒と肴

本丸内の太鼓門の近くに飲食店があります。
地酒もありそうなので入りました。

地元の「石鎚(いしづち)」という銘柄の酒を吞みながら、地元の揚げ物を味わいました。
城があるところには、いい酒があります。

5.まとめ

以上、

  1. 松山城の概要
  2. 松山城築城の経緯
  3. 松山城内見学:本丸
  4. 松山城内見学:天守

について解説しました。

松山城は、難攻不落の城であることが、城内を歩いてみるとよくわかります。
地形を巧みに活かした石垣や櫓、門、塀などの配置は見事です。
また、筒井門・隠門のような防御の秘策は、全国でも数少ないと思われます。

何と言っても、大半の建物が木造で残されているのが、魅力的です。
再度、見学したいと思わせられる城郭です。

現在、重要文化財とのことですが、国宝に昇格しても良いと思います。
元々、国宝であったのですから、地元の方々にも啓発活動をより頑張っていただきたいと思います。

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7.参考・引用Webサイト

※1 「松山城パンフレット」

https://www.matsuyamajo.jp/img/common/pamphlet.pdf?22

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この記事を書いた人

◆有限会社エクセイト研究所◆

職務:代表取締役
業務:不動産コンサルタント
   不動産投資(大家業)
   不動産ライター・ブロガー
資格:一級建築士
   1級土木施工管理技士
   宅地建物取引士
   測量士
   定借アドバイザー
   マスタースキューバダイバー
認定:プロクラウドワーカー
   認定ランサーズ
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   水辺ウォーキング
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   メタバース:まちづくり
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