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水辺建築としての城郭その4:津山城を見学

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都市の水辺をウォーキングしますと、城郭に出会う機会がよくあります。
特に、天守閣のある街は、それだけで風格が出ます。

城郭は、川や堀などの水辺と相まって、独特の空間を形成します。
 ・天守閣による街の歴史・威厳
 ・水辺による潤い・安らぎ
 ・観光による賑わい・華やかさ
などを感じることができます。

特に平城は、水辺の近くに築城されます。
 ・敵からの防御
 ・舟運による流通の確保
 ・飲料水の確保
などに優れているからです。

今回の記事は、岡山県津山市にある津山城をウォーキングし、天守台などを見学した様子を紹介します。

図1.津山城位置図1
Δ図1.津山城位置図1

なお、大阪城、江戸城、松山城見学については、下記の記事をご覧ください。

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目次

1.津山城の概要

写真1.ありし日の津山城天守
Δ写真1.ありし日の津山城天守

津山城の初代城主は、「本能寺の変」で織田信長を守護し、悲運の最期を遂げた森蘭丸(もりらんまる)の弟である森忠政(もりただまさ)です。

1-1.初代城主:森忠政(もりただまさ)

写真2.初代城主:森忠政
Δ写真2.初代城主:森忠政

森忠政像の横に、森忠政の案内板が立っていましたので、その記載文を引用します。

森 忠政 1570~1634

幼名を千丸。
元亀元年、美濃(岐阜県)金山城に生まれる。
京都本能寺の変で、織田信長を守護し、悲運の最期を遂げた森蘭丸の弟。
天正12年(1584)兄長可(ながよし)の戦死後家督を継ぎ、豊臣秀吉に仕えて金山7万石を与えられる。
のち徳川家康に仕え、慶長5年(1600)信濃(長野県)川中島13万7000石を領す。
同八年(1603)美作国一円18万6500石を与えられ津山に入封。
翌九年(1604)より津山城の築城に着手、また城下の町づくりを始め、現在の津山の基をなした。
寛永11年(1634)三代将軍家光に随伴して津山より状況するが、食傷により急死す。
享年65歳。
なお、この像は、津山市小田中、森家の菩提寺本願寺にある木造を基としたものである。


1-2.津山城跡

図2.津山城位置図2
Δ図2.津山城位置図2

現在、津山城に天守閣はありません。
津山城跡の案内板が立っていましたので、その記載文を引用します。


津山城跡

国指定史跡(昭和38年9月28日指定)
 津山城は、もと山城のあったこの鶴山の地に森忠政が慶長9年(1604)に起工し、元和2年(1616)の完成まで13年の歳月をかけて築いた輪郭式の平山城です。
 往時には五層の天守閣がそびえていましたが、この天守閣は弓狭間・鉄砲狭間・石落し等の備えを持ち、唐破風・千鳥破風の装飾のない実践的なものでした。
また、本丸、二の丸、三の丸には、備中櫓をはじめ、栗積櫓・月見櫓等数多くの櫓が立ち並び、本丸には70余の部屋からなる御殿と庭園がありました。
 この城が築かれた当時は、我が国の築城技術が最盛期を迎えた時期にあたり、津山城の縄張りの巧妙さは攻守両面において非常に優れたもので、近世平山城の典型とされています。
 明治6年(1873)廃城令によって城郭は公売され、翌7年(1874)から八年(1875)にかけて天守閣をはじめとする一切の建物が取り壊されましたが、豪壮堅固な石垣は残りました。
 その後、明治33年(1900)城跡は鶴山公園として津山町の管理となり、昭和38年(1963)に国の史跡に指定されました。


1-3.歴代城主

津山城跡の案内文に続いて、歴代城主の案内文もありますので引用します。


歴代城主

◆森 家◆
森家は清和源氏で、初代津山藩主森忠政は、美濃金山城主森可成の6男に生まれました。
慶長8年(1603)徳川家への数々の武功が認められて、信濃川中島13万7500石の大名から美作一円18万6500の大名に抜擢されました。
この忠政は、本能寺の変で主君の織田信長とともに壮絶な最期を遂げた森蘭丸の末弟にあたります。
森氏は四代90年にわたって美作国を治めましたが、長成に継子がなく、津山森家は改易となりました。
その後、森家は二代藩主長継の子長直が備中西江原藩主として森宗家を再興し、さらに宝永3年(1706)赤穂に移りました。


◆松平家◆
森家にかわり10万石の大名として新たな津山藩主となった松平宣冨は、徳川家康の第二子結城(松平)秀康の曾孫(秀康の子松平忠直の長男光長の養子)で越前家と呼ばれ、徳川一門中に重きをなしていました。
そして明治4年(1871)に降参となるまで、9代174年にわたって続きました。


2.津山城の濠

写真3.吉井川:今津屋橋から上流を撮影
Δ写真3.吉井川
今津屋橋から上流を撮影

濠は、主に城郭の防衛のために設けられます。
多くの場合、城郭の周囲にめぐらされます。

2-1.川を利用した外濠

濠を一から全てを造るのではなく、城郭の周囲に川があれば、それを濠として利用しました。
津山城の場合、
 ・東側:宮川
 ・南側:吉井川
 ・西側:藺田川(いだがわ)
があり、外濠として利用されました。

図3.津山城周辺の川
Δ図3.津山城周辺の川

元々氾濫原であった場所を城下町として広く確保するため、流路を固定する治水工事が行われました。

吉井川の流れを城の南側で、出来るかぎり南に寄せ、川の北側に石堤を築きました。
宮川と藺田川にも石堤を築きました。
北を除く城の三方を河川が流れることにより、城と城下町を防衛する濠の役割を果たしました。

図4.城下町(CG)出所:「よみがえる津山城」
Δ図4.城下町(CG)
出所:「よみがえる津山城」※2

図4は、津山城と城下町のCG(コンピューターグラフィック)です。
 ・真ん中に描かれている水辺は南内濠
 ・左側に描かれている水辺は吉井川
です。

2-2.内濠

城の南、西、北に掘られた内濠は、内山下(うちさんげ)と呼ばれる地区の外周にあたり、平均して13間(約24m)の幅がありました。

図5.津山城内濠配置図
Δ図5.津山城内濠配置図
出所:「学芸員が作った津山城の本」※1

出入り口は、6箇所
 ・南東部の宮川口
 ・南方の京橋口
 ・名西部の二階町口
 ・西方の田町口
 ・北西部の作事口
 ・北方の北口
に開かれています。
それぞれに櫓門が構えられました。

図6.京橋門(CG)出所:「よみがえる津山城」
Δ図6.京橋門(CG)
出所:「よみがえる津山城」※2

大手筋にあたり、木橋が架けられた京橋口以外の5箇所は全て土橋でした。
・宮川口から作事口に至る南と西の濠は水濠
・北口から宮川西口までの北の濠は空濠
でした。
その中間の作事口から北口に至る北西の濠は、南方では完全な水堀ですが、北へ行くにつれて水深は浅くなり、北口に近いところでは、底にわずかに水が溜まっている程度でした。

この原因は、高低差のある場所で濠が造られたことによります。
城が築かれた鶴山の北方は高台であり、濠の内側の内山下も完全な平坦地ではなく、北へ行くほど高くなっています。

内濠は、廃城後の土地開発によって埋立てられ、その一部が細い水路としてわずかに名残をとどめています。

図7.城下町の様子(CG)出所:「よみがえる津山城」※2
Δ図7.城下町の様子(CG)
出所:「よみがえる津山城」※2

2-3.物資輸送にも活躍

江戸時代から昭和初期にかけての吉井川は、現在よりも水量が豊富な川でした。
吉井川上流にダムが建設されることにより水量が調節され、常時流れる川の水量は減少しました。

吉井川は、瀬戸内海に注ぐ川なので、ダムが建設されるまでは舟運が盛んであり、江戸時代には京都からも物資の出入りがあったと伝わります。
吉井川や宮川沿いに、多くの船着場があったと考えられます。
「津」は港を意味します。
山中にある川の港ということで、津山と名付けられたのでしょう。

3.津山城内見学:二の丸・三の丸

図8.津山城京橋口(CG)出所:「よみがえる津山城」
Δ図8.津山城京橋口(CG)
出所:「よみがえる津山城」※2

津山城内を見学します。

3-1.津山城内見学ルート

津山城内の見学ルートは、下図の通りです。

図9.津山城見学ルート図
Δ図9.津山城見学ルート図

城下にある立派な石段を登り、津山城の入口である冠木門へと向かいます。

写真4.津山城南側の石段
Δ写真4.津山城南側の石段

3-2.冠木門(かぶきもん)

石段を上り右へ折れますと、津山城の入口である冠木門があります。

写真5.冠木門跡
Δ写真5.冠木門跡

下図は、冠木門のCGです。

図10.冠木門(CG)出所:「よみがえる津山城」
Δ図10.冠木門(CG)
出所:「よみがえる津山城」※2

冠木門の近くに料金所があります。
大人:300円です。

ここで、城内を確認するため、津山城案内板の写真を挙げます。

写真6.津山城案内板
Δ写真6.津山城案内板

3-3.三の丸へ

写真7は、三の丸へ上がる石段です。
写真8は、三の丸です。

3-4.表中門(おもてなかもん)

三の丸に上がり北を見ますと、かつて表中門がありました。
現在はありません。

図11.表中門(CG)出所:「よみがえる津山城」※2
Δ図11.表中門(CG)
出所:「よみがえる津山城」※2

表中門を通過しますと、二の丸へ上がる石段が現れます。

3-5.二の丸へ

二の丸へ上がる石段です。

写真9.二の丸へ上がる石段
Δ写真9.二の丸へ上がる石段

石段を上がる途中で、備中櫓(現存再建築)が見えます。
石段を上がり切りますと、かつて四脚門(しきゃくもん)がありました。
現在はありません。

四脚門を通過しますと二の丸に出ます。

二の丸の近くから見た備中櫓です。

3-6.鉄砲櫓(てっぽうやぐら)

四脚門を通過しますと、かつて目の前に鉄砲櫓が現れました。
現在はありません。

図14.鉄砲櫓(CG)
Δ図14.鉄砲櫓(CG)

下図は、鉄砲櫓の位置図です。

Δ図15.鉄砲櫓位置図(出所:津山絵図)
Δ図15.鉄砲櫓位置図
(出所:津山絵図)

鉄砲櫓の案内板がありましたので、その記載文を引用します。

鉄砲櫓

 鉄砲櫓は、表中門の西に続く平屋蔵で、二の丸の南面に位置します。
東西の長さは33間あり、城内で最も桁行の長い櫓です。
櫓内には、城に備え付けの鉄砲のほか、大筒や玉、玉を作るための鋳型などが収められていました。
 「国元日記(くにもとにっき)」文政5年(1822)には、雨漏りにより、櫓内で保管されていた木綿火縄1箱475筋のうち223筋が損なわれ、うち189筋が大損したことが記されています。
保管されていた武具は、戦のない年月の間使用されることなく、破損が進んでいたようです。
 なお、城内には鉄砲櫓の他に、
  ・本丸の多門櫓に藩主使用の武器類
  ・長櫓に足軽具足類
  ・二の丸の弓櫓に弓や具足類
  ・長柄櫓(ながえやぐら)に槍など長柄もの
が収蔵されていました。

鉄砲櫓跡を後にし、切手門へ向かいます。

3-7.切手門(きりてもん)

かつて、二の丸から本丸へ上がる途中に、切手門がありました。
現在はありません。

図16.切手門(CG)出所:「よみがえる津山城」
Δ図16.切手門(CG)
出所:「よみがえる津山城」※2

切手門を通過しますと石段が現れます。
石段で180度振り返りますと、備中櫓が見えます。

写真12.備中櫓
Δ写真12.備中櫓

3-8.表鉄門(おもてくろがねもん)

石段を上がり北西へ進みますと、かつて表鉄門がありました。

写真13.表鉄門跡
Δ写真13.表鉄門跡

下図は、表鉄門のCGです。

図17.表鉄門(CG)出所:「よみがえる津山城」
Δ図17.表鉄門(CG)
出所:「よみがえる津山城」※2

表鉄門を通過しますと本丸です。

4.津山城内見学:天守台・本丸

図18.津山城(CG)出所:「よみがえる津山城」
Δ図18.津山城(CG)
出所:「よみがえる津山城」※2

本丸では、
 ・備中櫓
 ・天守台
を見学します。

4-1.備中櫓(びっちゅうやぐら)

本丸から見た備中櫓です。

写真14.備中櫓:本丸から撮影
Δ写真14.備中櫓
本丸から撮影

備中櫓の中へ入ります。
入ってすぐの間取りは、田の字型になっています。

トイレのある部屋です。

2階へと上がります。
2階は、立派な床の間のある部屋でした。

備中櫓を出て、天守台に向かいます。

4-2.天守台

天守台です。

天守台石垣の内部です。

4-2-1.天守台の概要

天守台の案内板がありますので、その記載文を引用します。

天守台

 津山城の天守は、地上5階建てで、最上階以外に破風(はふ)を持たない質実な造りでした。
高さは石垣を除いて約22mで、一般的な五層の天守としては最大規模のものです。
形は、天守台の平面が正確な四角形で、上階が規則的に小さくなっていく「層塔型(そうとうがた)」と呼ばれるものです。
この壮大な天守を支える礎石は、地下の穴蔵部分で確認されています。
上から見ると、平らな礎石が並んでいる様子が分かります。
絵図と比較すると、柱の位置と礎石の位置はほぼ一致しています。
柱は、約38cm角もある巨大なものであったことが分かっています。
 天守をはじめ城内の建物は、明治7年から8年(1874~1875)にかけて取り壊され、石垣を残すのみとなりましたが、その後昭和11年(1936)に開催された「産業振興大博覧会」の呼び物として、本来の天守の3分の2の天守が建てられました。
「張りぼて」の愛称で親しまれましたが、空襲の目標になるという理由から、昭和20年8月に取り壊されました。

4-2-2.津山城のCG

津山城築城400年を記念して制作された映像があります。
・津山城の歴史
・津山城の構造
・津山藩初代藩主・森忠政公の足跡やゆかりの史跡
などを再現CG映像を交えながら解説・紹介したものです。

ΔYouTube動画:「よみがえる津山城」
出所:TsuyamaCityPR

4-2-3.天守台からの眺め

天守台石垣上部から見た城下町(津山市内)の光景です。

ここまで上がってきて感じたことは、とにかく石垣が立派!
日本有数の城であったといっても過言ではありません。
現在はすっかり岡山城にお株を奪われてしまいましたが、昔は岡山市よりも栄えていたのでしょう!

しかも、スケール3分の2の天守閣が再現されていた過去があったんですね!
これには、驚きました!

5.紅葉祭・「上屋」で乾杯

天守台を後にし、石段を下ります。

5-1.紅葉祭

本日は、津山城紅葉祭りの最終日。

石垣と紅葉のセットは映えますね!

5-2.城下町「上屋」で乾杯

実は、津山城を見学するにあたり、津山市在住の水辺ミュージシャン:政岡玄さんに案内をしていただきました。

写真33.右側が政岡玄さん、左側は筆者
Δ写真33.右側が政岡玄さん、左側は筆者

政岡さんの紹介で、居酒屋「上屋」に入り、乾杯しました。

「上屋」で地元の日本酒である
 ・「美作」
 ・「武蔵」
を堪能しましたが、旨い地酒です。

酒の席で、「津山城天守閣再建構想」に話が及び、準備していくことになりました。

6.まとめ

以上、

  1. 津山城の概要
  2. 津山城の濠
  3. 津山城内見学:二の丸・三の丸
  4. 津山城内見学:天守台・本丸
  5. 紅葉祭・「上屋」で乾杯

について解説しました。

津山城は天下の名城ですが、現在は再建された備中櫓しか建物は残っていません。
しかし、かつてあった天守や櫓、門、塀などは、他の名城と比較しても決して劣りません。
それだけに、明治初期の廃城令により、さしたる反対活動も起こらずに簡単に全ての建物が解体されたことは残念でなりません。

しかし、津山市民の津山城に対する思いは強く、数回に渡り再建運動が起こります。
その内容につきましては、改めまして記事にします。

筆者としましては、「津山城天守閣再建構想」なるものを作成し、今後啓発活動をしていく予定です。

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不動産に関するお役立ち情報を案内します。
ご活用ください。

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8.参考・引用Webサイト、文献

※1 「学芸員が作った津山城の本」
    津山郷土博物館 発行

※2 「よみがえる津山城」(再現CG編)
    TsuyamaCityPR

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この記事を書いた人

◆有限会社エクセイト研究所◆

職務:代表取締役
業務:不動産コンサルタント
   不動産投資(大家業)
   不動産ライター・ブロガー
資格:一級建築士
   1級土木施工管理技士
   宅地建物取引士
   測量士
   定借アドバイザー
   マスタースキューバダイバー
認定:プロクラウドワーカー
   認定ランサーズ
趣味:カヤック一人旅
   水辺ウォーキング
   スキューバダイビング
   メタバース:まちづくり
   サックス:JPOP、JAZZ
   

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